宗教の世界、2006年7-8月号
仏教が西洋で人気を博している主な理由の一つは、ダライ・ラマのカリスマ的な個性と、寛容、非暴力、慈悲といった根本的な価値観に焦点を当てた教えにあります。一神教では馴染みのない布教活動が一切ない点が、仏教の魅力です。「改宗するな、自分の宗教にとどまりなさい」とチベットの師は語ります。これは西洋人を誘惑するための見せかけなのでしょうか?この質問をよく受けます。そこで、私が深く感動したある体験をお話しすることで、この問いにお答えしたいと思います。
数年前、インドのダラムサラでのことでした。ダライ・ラマ法王が、著書のために私と面会する約束をしてくださいました。1時間の面会です。その前日、ホテルでイギリス人の仏教徒ピーターと11歳の息子ジャックに会いました。ピーターの妻は数ヶ月前に長い闘病生活と深い苦しみの末に亡くなっていました。ジャックはダライ・ラマ法王に会いたいと強く望んでいました。そこでピーターは彼に手紙を書き、5分間の面会、つまり祝福を受ける機会を得ました。父子は大変喜びました。
翌日、私はダライ・ラマに謁見しました。ピーターとジャックは私のすぐ後に迎えられました。私は彼らがすぐにホテルに戻るだろうと思っていましたが、彼らはその日の終わりまで到着せず、すっかり打ちひしがれていました。謁見は2時間続きました。ピーターはこう語りました。「まずダライ・ラマに妻の死を告げ、私は涙が溢れました。彼は私を抱きしめ、長い間涙に付き添い、息子にも付き添い、息子と話してくれました。それから彼は私の宗教について尋ねました。私はユダヤ人の血筋と、これまでずっと抑え込んできたアウシュビッツへの家族の強制移送について話しました。深い傷が蘇り、感情が溢れ、私は再び泣きました。ダライ・ラマは再び私を抱きしめてくれました。私は彼の慈悲の涙を感じました。彼は私と同じように、私と一緒に泣いてくれたのです。」私は長い間、彼の腕の中にいました。それから私は、自分の精神的な歩みについてダライ・ラマに語りました。ユダヤ教への関心の薄さ、福音書を通してイエスに出会ったこと、20年前、私の人生の大きな光であったキリスト教への改宗について。それから、英国国教会でイエスのメッセージの力強さを見出せなかったことへの失望、徐々にイエスから離れていくようになったこと、生きる助けとなる精神性を深く求めるようになったこと、そして、長年実践してきたチベット語版仏教との出会いについて。私が話し終えると、ダライ・ラマは沈黙しました。それから秘書の方を向き、チベット語で話しかけました。秘書は立ち去り、イエスのイコンを持って戻ってきました。私は驚きました。ダライ・ラマはそれを私に渡し、「仏陀は私の道、イエスはあなたの道」と言いました。私は3度目の涙を流しました。20年前に改宗した時に抱いていたイエスへの愛を、突然再発見したのです。私はキリスト教徒であり続けたのだと悟りました。瞑想の支えとして仏教に頼っていましたが、心の奥底ではイエス以上に私を感動させるものはありませんでした。ダライ・ラマは2時間も経たないうちに、私を自分自身と和解させ、深い傷を癒してくださいました。そして、去る際にジャックに、イギリスに来るたびに必ず会おうと約束しました。
私はこの面会と、ダライ・ラマの慈悲が空虚な言葉ではなく、キリスト教の聖者の慈悲に何ら劣るものがないことを私に教えてくれたこの父と息子の変わり果てた顔を決して忘れないだろう。
宗教の世界、2006 年 7 月 - 8 月。